当たり前の成人の日ではないけれど。穏やかな今日を迎えた喜びと苦しみが解けたあの瞬間

今日は成人式が行われる。
息子は高校を休学して未だ肩書は高校1年生だ。
家にいる息子と迎えた20年の節目。
例年通り大雪となり、だけど空は気持ちよく晴れている。

去年の今頃を振り返れば、それはまさにどん底だった
彼はひたすらに自分の表現方法としてプログラミングに取り組んでいて、これが普通の勉強だったらガリ勉か!と突っ込みを入れるたくなるほど…、特性としての過集中もあり何とも真面目に向き合ってきていた。
ところが急にそんな自分に自分自身がブレーキをかけるという謎の状態になり。
進めたいのに進められない、そんなジレンマが春・夏・秋・冬、そして新しい年に変わってしまう、そんな時だった。

「死にたい」そんな言葉も何度も聞かされた。
過集中で日常生活がぐちゃぐちゃだった時に比べ、何も手につかない無気力な彼は、まるで定年退職後のおじさんみたいで日常は安定しているようでもあった。
ただ心の内には「なぜ、どうして?」と「このままじゃ生きている意味がない」が激しく苛んでいた。

ずっと傍らで暮らし、その様子を見続けていて、とてもじゃないけれど私のために死なないで欲しいとは言えなかった。
とても悲しいことだけど、でもいざという時は彼の気持ちが大事だと、それは仕方がないんだと思いながら、どうしようもなく当たり前の毎日を重ねるよりなかった

出来ることは何でもと、カウンセリングを受けるために転院を決めたのは彼自身だった。
死ぬことは出来なかった、怖かった、そう後で聞いた。
1か月もお風呂に入らなかったり、食事を何度も抜いたり、スマホをすっかりリセットしたり。
そこまでやって、どうにも怖くて、あがいてカウンセリングを求めた
「自分自身がブレーキをかける」
この原因が分からなかった。

何度目かのカウンセリングで「やるな!という声が聞こえる感じ」という表現があった。
ただ、実際に声が聞こえるわけでもない。
そんな感じにブレーキがかかる、そういう表現だ。
ふとそれを思い出し、家で会話をしていた時に「それはいつから始まったのか?」と聞いてみたのが氷解の始まりだった。

「小学校低学年だと思う」
みるみる驚きの表情と、理解が繋がり、氷が溶けるように涙がこぼれた。

彼は自閉症だ。
小さなころの彼はいわゆるハカセ君タイプで、教室で自由に発言をし、歩き回り、何なら先生と並んで黒板の前に立って解説を始めてしまうくらいだった。
それでは授業の邪魔になってしまうし、おそらく「立って歩かないでイスに座っていようね」というごく普通の指導を受けたのだと思う。
ただ、なぜそれがいけないかを本当には理解出来なかったのは、彼の独特な思考もあっただろう
ともかく当時の幼い彼は「(座ったら座ったまま)行動を変えてはいけない、そうするのがみんなと仲良くできるルール」と勝手なルールを作ってしまった
始めはうまく行っていたそのルールは、やがて独り歩きを始めた。
もはやなんでそれを決めたのかも忘れてしまったのに、成長するにつれルールが適用しない場面だけが増えていった。
その引っ掛かりはおそらくずっと続いてきていて、後になれば「ああ、あれも」と思っても、当時はその行動自体を自閉症によるこだわり行動として捉え一時的な解消を試みていた事になる。
そして忘れたままの心のルールによるズレが、どうにもならないほどに影響してきたのが19歳。

これほど苦しんだその原因が、そんな小さな幼い子供の決めごとだったなんて、しかもそんな何でもない日常の中で生まれたなんて。
…見つからなかったわけだ。

こうして解放されたのは、この間の春だった。
それからもカウンセリングを受けながら、やっと向き合えているプログラミングを進めている。
その後20歳の誕生日を迎え、障害年金の手続きだの、20歳は若干おめでたくない。
それでもこうして呪いを解いて成人を迎えた今日。
安定した毎日の中でこの日を迎えられたことは感慨深く、ただただ嬉しい。
20歳、おめでとう!


Miyuki





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