場面緘黙症だった私がホームスクーリングで子育てをしてきた理由。【自分はそのままで良いもの】と信じてほしい。

こんにちは、やましたひとみです。

SPACE JUNKの活動メンバーでこのサイト運営をメインでしています。

今日は私のストーリーを書きました。


今年高校3年生の年齢になったうちの子は、一般的な道筋はほぼ通ってきませんでした。

ホームスクールやフリースクール、公立にも行きました。

いわゆる不登校と言っても構わないのですが、とにかく一般的な道からは外れてきました。

義務教育期間は公立小中にも通った時期はありましたが、トータルで2年ほどのみ。

高校は通信制にいちおうは入学しましたが、1年次から休学していて今年度で辞めることになります。

高校の学習はやる気にならなかったのもあるのかもですが、実際のところ忙しくてできなかったというのもありそうです。

好きなことを思いきりやってきたので、いまはそれが仕事になっていて、かなり忙しい毎日を過ごしています。コロナ禍ということもあり、一見すると引きこもりのようにも見えるのですが・・。

ちなみに私はもともと教育や学校について深く考えていたわけではなく、逆にちょっとのんびりしていた親だったと思います。

小さい頃

明るく好奇心が強い子で、人が大好きな子でした。

苦手なことも多くてあれれ?と気になるところもあるけれど、興味があることは貪欲にどんどん吸収していくので、赤ちゃんの頃からとにかく面白い子だな~すごいな~と思って見ていました。

子どもは一人ですし、他の子がどうなのかよくわかっていませんでした。

当時の得意なことは、折り紙、ピアノ、文字の読み書き、などでした。

反復的な練習や気持ちの切り替えなどは超苦手。

学ぶことには貪欲なので、既に知ってることを教えられるのが我慢できないようでした。

幼稚園では運動会で1人だけ何があったのか、かけっこの途中で引き返してきました。

120人ほどの幼稚園でそんなことになったのはうちの子だけだったので、相当面白い子なのかな、と。

玄関に入ってすぐのそれほど広くない入り口のところに、毎朝寝っ転がってゴロゴロっとしてしまうので幼稚園のみんなが跨いで登園するという不思議な光景を見て、ん??と思いました。

当時の私はといえば、「なんだか困ったこともたくさんあるけれど、超個性的で面白い子だな~」、というのんびりさ加減でした。

他にもエピソードはたくさんありますが、小学校に入学して一か月の頃に初めてスペシャルニーズの可能性を担任の先生から伝えられ、びっくりしてしまいました。

確かに親から見ても、同年齢の子たちと同じように学校生活を送ることのイメージがまったくわいていなかったのですが、初めて他の人から言われてしまったので相当ショックを受けました。

ただ、現状がわかれば対策も考えていけるので、そこから勉強しながらの右往左往が始まりました。

自分の存在をよいもの、と信じて生きていくこと

少し自分のことをお話しさせていただきますと、私は機能不全家族で育っていまして、小4まで学校では一言も話せない、場面緘黙症でした。(場面緘黙と機能不全家族は無関係です)

当時はそんな言葉もまだなく、誰も気にも留めず、なんのケアもされない時代でした。

家の都合で小4から中1まで、引越し転校を繰り返し、そのたびに少しずつ自力で努力して話せるようになっていきました。

今ではあまり信じてもらえないくらいには話すことはできますが、たまに発動している時もあるかもしれません。

その他にもいろいろなトラウマを抱える育ち方でしたので、私はかなり自己肯定感の低い人でした。

そんな背景があって私の子育ての目標は、私とは反対に自己肯定感の高い人になってほしい、ということがありました。

さて、自己肯定感といってもどうしたら、ということですが・・。

ハウツーはどこにもないので、自分の直感で自分のできることしかできません。

「自分の存在はそのままで良いもの」と赤ちゃんの時から信じてほしいと思っていました。

たとえば泣いて呼ばれたらすぐにかけつけるとか、目線の先にいるママはいつも笑顔であなたの存在を喜んでるよ、と知ってもらう、話しかけられたら答える、など自分には自分の存在そのままで(なにかの努力をしなくても)それをしてもらうだけの価値があるということを伝えていくことを意識していました。

その感覚はこれからの人生のいろいろな場面で強化されていき、「自己肯定感」の種になっていくと思っていました。潜在意識と言ってもいいかもしれません。

人生のスタート地点で私からあげられるプレゼント、かなと。

それが正解なのかどうか、答え合わせはおそらく2,30年先になるだろうとも。

子育てはたくさんの情報やアドバイスで溢れているけれど、自分の直感で決めたことなら誰のせいにもできない。けれども満足はできるだろう、と考えていたことをいまも覚えています。

ホームスクーリング・すべてが主体的な学び

学校生活の話に戻りますが、「自分の存在はそのままで良いもの」ということを大切に考えた時、うちの場合学校ではどうしても難しさが出てきてしまいました。

もちろんフリースクールでも公立でも、どこかに通っていた方が親としては安心ですが、超個性的なキャラクターは学校生活には完全に向いていませんでした。

3年生からは公立の小学校に通いましたが、素晴らしい担任の先生に出会い大変お世話になりました。

けれども公立小学校では、担任の先生が事前にお知らせすることもできずに2年間で異動となってしまいました。

仕方のないことなのですが、学校の様々なシステムになんとか折り合いをつけて合わせていくよりも、自分にあった方法で学んでいくのがうちの子にはあっていると思い、ホームスクーリングに切り替えることを決心しました。(ホームスクールは低学年の頃も一時していました。)


学校にもホームスクーリングにすることを伝え、理解していただきました。

決めてしまえば、堂々と平日に好きなことに集中できます。

学びはどこでもできました。特に自然から多くを学びました。

私も知らないことばかりなので一緒にいろいろなことを学び、新しい出会いもたくさんあってとても楽しかったです。

博物館に月に数回通い、大人に混ざって最先端の高度な学びも思う存分できるようになりました。

好きな分野で自分の好きな人、尊敬する人とつながっていきました。

すべてが主体的な学びで、とてもいきいきしていました。

大人に混ざって研究発表する機会もたくさんありました。

ずっと続けていた音楽でも自分が作った曲を大きなオーケストラで演奏してもらったりなど、夢のような体験を自分で切り開いていきました。

同年齢の中で同じことを、同じスピードで学ぶ、という枠を外したらとても自由になりました

当時小学校とはいい関係のまま、利用させてもらえるところはさせていただきました。

学校側からみたら不登校児童なのに、学校祭で一人で展示会を開催させていただいたりなど、ずいぶん協力していただいてとても感謝しています。

その頃、ROCKETが始まり、2015年に2期生として参加させていただくことになりました。

そろそろ答え合わせの時に近づいているが・・

振り返ると親としては、苦しかったこともあったしたくさん泣いたし、孤独だったし、途方に暮れていたし、悪循環に陥っていた時期もたくさんありました。

学校と正面から対峙しなければいけないことも何度もありました。

校長先生と話し合った翌日、ひどい蕁麻疹になってしまったことも・・。

子育てということでは間違ったことも失敗もたくさんしましたし、自己肯定感を育みたいと言っていながらその反対のこともたくさんしてしまいました。子育ては難しいです。

自分を整える必要を感じて、カウンセリングに何年も通いました。

親の願い通りには動いてくれない子なので、親子ともそういうことに慣れるまで10年間くらいは折り合いをつけるのが大変だったような気がします。

でも今はさすがにもう慣れたかもしれません。

喉元すぎれば・・なのですが、今は自分の好きなことを自分の足で歩き始めている姿に、ただただすごいな~うれしいな~と思って見ている私です。

もうそろそろ子育ての答え合わせの頃に差し掛かってきました。

ただ、今は子育てに正解も不正解もないだろうな、とも思っています。

右往左往してきたすべての経験も含めて、その時にできることをできるだけ、してきました。

そんな自分のことも、間違いだらけの親に寛容だった我が子のことも、同じように褒めてあげたいなと、そんな風に思います。

子どもにはこれからも、いろんなことにトライして自分がきちんと幸せでいられるように生きていってほしいと思います。

そして、できれば「自分の存在はそのままで良いもの」と信じて生きていってくれたら、と思っています。


最後までお読みいただきありがとうございます。

SPACE JUNKの活動をしているのは、個人的には自分が難しい子育てをしてきて苦しかった時期もたくさんあったこと、が原動力です。

昔の私のような難しい子育てをしている方たちに、なにか少しでもヒントになるようなことがあればとてもうれしいし、報われる思いです。

好きから広がる学びを選んだ方々に心からのエールを送ります!

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note ←こちらは中学校を卒業した頃にこれまでの経緯を簡単にまとめたnoteの記事です。

山下ひかる ROCKET CABINはこちら↓

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