目標は「登校」ではなく「将来を幸せに」。生きる喜びに溢れていた頃に戻るために決めたこと。

はじめに

はじめまして、Hirokoと申します。
ブログを書くにあたり、子育てを振り返るチャンスを与えられた事に感謝いたします。

引き受けたのは今なら絶望的と思っていた時期を乗り越え、当時を振り返ることができると思ったからです。

しかし実際に文章にしてみると思いがけない気づきがあったり、エピソード毎に当時を振りながら反省したり落ち込んだり。

自分と向き合うことに、多くの時間を費やす貴重な体験になりました。

この作業はこれから私達親子が、生きていくためにはとても大切なものとなりそうです。

幼少期


絵本が大好きで生後4か月頃から小学校入学するまで毎日10冊はせがまれて読み聞かせていました。

雲や月や星空を眺めるのも大好きでベビーカーに乗って何時間でもニコニコ眺めていました。

しかし一番のお気に入りは大きな宝石や装飾品で、銀座の宝石店まで行き数千万~時価の煌めく宝石を何時間もショーウインドーから見せていました。

どんなにぐずっていても煌めく宝石に魅入られてしばらく静かになりましたので大変助けられまし
た。

お話しができるようになって2歳頃~「ママ大好き」「ママ産んでくれてありがとう」
「ママ○○してくれてありがとう」
と言ってくれるのでとてもうれしいのですが、この愛情のポテンシャルを受け止めて返事をする体力も相当で

「ママも大好きよ」「生まれてきてくれてありがとう」などと毎日毎日数百回のやり取りをしていました。

私は夕方くらいには疲れてしまいお経のように唱えていたように思います。
生きる喜びを体現する子なんだと思います。

小学校時代


この時代が一番きつかったと思います。

2年生からだんだん登校が苦痛になってきて、朝になるとなにかしらの体調不良を訴えるようになりました。

しかし渋りながらも登校はしていました。

折り紙が得意で3年生の夏休みに「夜中に集中して折りたい」と申し出をされましたが「10歳になったばかりのこどもが昼夜逆転なんて身体に悪いので駄目です」と返すと不食で抵抗。

交渉をやりとりしながら27時間後に「夜中に起きてていいのでご飯を食べて生きててほしい」と、こちらから申し出ると部屋から出てきて早速折り紙を開始。

こんな調子で、目標が定まると達成するまで誰も止められなくなってしまうのです。

目標だったペガサスを折り終わり、納得した夏休みの終盤には昼間の生活に戻していました。


5年生からはほぼ登校ができなくなっいました。

「何で僕は怒られてばかりなの?」「何で誰もほめてくれないの?」と親子で悲しみに暮れる毎日でした。

幼少期の生きる喜びに溢れていた頃の面影もなく、ストレスによる自律神経の乱れで起き上がれない日が続いおり、そのころ学校や相談員からは薬を飲ませ「落ち着かせて」登校するように勧められてい
ました。

薬とは向精神薬の事です。

薬を否定しているのではないのですが、息子に薬の服用が本当に必要なのかしっかり考えたかったのです。

授業中出歩く事やしゃべる事もあまりない子なので「落ち着かせるとは?」と不安と疑問でもんもんとしていました。

おそらく向精神薬の性質上保護者に向けて説明する言葉なのだろうと思っています。

息子は服用も登校も希望していません。

心のSOSを薬でうつろにさせて身体だけを移動させ登校させる事に何の意味があるのだろう。

登校できない息子にも人間として身体的、精神的、社会的にも健康に生きる権利があるはずななのに。

何をしに学校に行くのだろう。保護者としてずっとずっと考えていました。


将来生きていくために必要な事を学ぶためではないの?
このままでは卒業どころか小学校在学中に子供の心が潰れてしまう。
幼くして心を潰させないことや自己肯定感を維持させることは登校させることより大切なのではないの?

自分で自分の学びを深めることが将来の役に立たないなんてことある?
と次々に疑問が頭をよぎるようになりました。


息子の人間としての心を守ろう。
目標は「登校」ではなく「将来を幸せにいきる」にしよう。

方向転換した時からしっかり前だけを向いて進もうと決めました。
夫や学校や周りとは方針が違っているけれどそう決めました。

子育てが大変だった本当の理由

私の場合ですが、皆と同じでなくなる恐怖将来失望しか考えられなくなる自分の性格に抗うことが出来なかったり、息子問題を通じて夫との関係が浮き彫りになった事、陰極まった時の自分があまりに弱く酷いあり様をさらけ出す始末で自分を知ってしまった事も大きな理由だと思っています。

感情がおさまらずに、暴言を吐きまくっていた自分の言葉の呪縛に苦しめられていたようにも思います。

 子育てを通じて

君と一緒に生きてきて本当に大切な事をたくさん気づかせてくれました。


君に幸せになってほしかった。

ただそれだけだったのに。


愛だと思ってる事は、実は私(母)の不安や恐怖からくるものだってあったこと。

全ての人は個性があって当然、違って当然と気づき他人と比較して焦ることもなくなりました。

不安を煽る情報と程良い距離を置く方法も身に着けました。

幸せと感じるものは、自分の感性で決めることも上手くなりました。


きっと、君と生きてこなかったら「あたり前」や「ふつう」に何の疑問も感じる事もなく感
謝することも今よりはるかに少なかったのではないかと思います。


君に振り回され続けているおかげで、平凡な日は「とても幸せな一日」になりました。


現実はほとんど変わらないけど、考え方や覚悟を決めると見えてくる世界がかわるのだから
不思議です。

さいごに


必要な学びが学校の外にあったならば、その学び方が好奇の目で見られる事もなく罪悪感を感じず、自己肯定感も潰されず学べる時代がくる事を祈ってやみません。

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