家族は壊れたけれど、きっと誰も悪くない。【感覚過敏・海外へ行く】(前編)

Observations
Observations by Saryu Mae

【↑タンタン、ニュージーランドでの研究サイト】


はじめまして。14歳の子供、タンタンの母 前まきです。

赤ちゃんから幼児期、子育ては本当に大変でした。

 

タンタンは、このような赤ちゃんでした。 

・0歳から2歳まで毎日、一日に3時間しか眠らなかった 

・0歳から、いつも怒って泣き叫ぶ、穏やかな時間がない赤ちゃんだった 

・舌小体短縮症で、おっぱいがうまく飲めなかった。哺乳瓶では飲まなかったため、授乳は、怒り 泣きしながら飲むので長時間かかった 

・目覚めるときは毎回、絶叫泣きパニックで目覚めた 

・「走る」と「止まる」だけがタンタンの移動方法。外では歩く移動はしなかった

・一度パニックになると最低でも2~3時間は大絶叫の大荒れ 

・抱っこ、手をつなぐ、服を着る、おむつを替える時は、毎回怒ってパニック

・2歳で、すでに自分が大人と思っていた 

・赤ちゃん(0カ月)の頃から意思が強い子だった 

・音、においに過敏でパニックになる 

・フィクションの物語絵本には「こんなのうそだ!」と怒って塗りつぶしたり破った

・おもちゃも何でも壊すので、実家では「壊し屋」と呼ばれていた 

・人から持ち掛けられた遊びは、喜ばない 

・自分で見つけてする遊び(砂をつかんでは落とすだけ、など)は2時間でも3時間でも無言で集中 していた 

・家にいると怒り泣き、外にいるとパニックにならなかったので、ずっと外で過ごさざるをえなかっ た 

・人が大勢いるお店での外食では、食べられなかった 

・何か活動を切り替えるときは、毎回怒ってパニックになった 

・ショベルカーは、騒音がひどくても、2時間から3時間は動かず無言で見ていた 

ここで、これを読んでくださっているお母さまの中には 

「ああ、うちもそうでした」 

っていう方がいらっしゃるかもしれません。 

タンタンと一緒に分析をするように

タンタンが小学生になったころから、タンタンと一緒に 

「小さなころ、あの行動はどうしてだったんだろうね?」 

と分析をしていました。

そしてパニックや怒りなど大変だった行動の根っこには、脳内のいろいろ なバランスがとれていなかったことと、感覚過敏があったから、ということで納得しました。 

赤ちゃんから幼児期のタンタンを分析して、謎が解けていくのは興味深くて、それをタンタンの意見も交えて分析した子育て記 

「ぼく、なんにもわるくない。怒ってばっかりっていわないで」 (アマゾンから出版)

を書いてしまったほどです。 

根っこに感覚過敏があったとはいえ、怒ってパニックになってばかりだったタンタンがとても優しいいい子に育った、と話すとタンタン君のところは子育てがうまくいった、と表からは見えるだろうし実際そうだと思います。

 

パパとのことについて

今回は、その裏で大変だった、パパとのことについて、お話ししたいと思います。 


パパはシェフでした。朝早くから夜遅くまでの仕事で、夜、疲れて帰ってきます。 子供が大好きで、楽しみに待ち望んでいた人でした。 

そして生まれたタンタンは、私の抱っこも実家の母の抱っこでも、パニックになりました。

夜も酷い睡眠障害で、パニックが頻繁でした。 

それでも、抱っこしないでいると更に激しく、息が止まってしまいそうな絶叫泣きになるので、昼も 夜も抱っこし続けていました。私も、眠れない日が続きました。 

生まれて数か月の頃、夜中、泣き叫ぶタンタンを抱っこして立ってゆらゆらしている私に、仕事から帰ってきたパパが 

「俺が抱っこしようか、少し休めば?」 

と言ってくれたことがありました。 

絶叫泣きしていたタンタンをパパに渡すと、タンタンは更に激しい絶叫泣きになり、顔も赤くなって 息が止まりそうになりました。 

「俺じゃ無理だ」 

パパは、すぐに私にタンタンを返しました。それ以来、タンタンを抱っこしなくなりました。 

子供を楽しみに待ち望んでいた、子供大好きな人でしたから、大きなショックを受けたのが伝わりました。 

パパがタンタンに関わることができる時間は、数少ないタンタンの機嫌のいい数分間です。

けれど機嫌のいい穏やかな時間はタンタンにはほとんどありませんでした。 

パパはタンタンを育てられない・・・

絶叫泣きするタンタンを、疲れ果てた私が何時間も抱っこしている間、パパは隣の部屋で、アルバムの中のタンタンを見て 

「かわいいなあ…」 

とつぶやいて時間を過ごすようになりました。 

写真のタンタンよりも、実物のタンタンとかかわってほしいと切実に思っていた私は、パパはタンタンを育てられないんだ、と実感しました。 

パパ、傷ついたんだな-と思いましたが、私はタンタンのパニックに追われていっぱいいっぱいでしたから、パパとゆっくり話す時間もないまま、月日が流れていきました。 

タンタンはおしゃべりは早かったです。 

おしゃべりできるようになったタンタンは、パパが近づくと 

「パパ!くさい!来ないで!」 

とパパが通れないようにバリケードを作るようになりました。

パパが私に近づくと 

「パパ!来ないで!」 

と怒るようになりました。 

タンタンは私にべったりで、私が50㎝程離れるとパニックになりました。 

パパは、体臭が強くありません。パパの何かがダメだったようでした。 

大きくなったときにタンタンと話して 

「パパの使うスプレーとか、歯磨き粉のにおいは嫌だったんだよ」 

と教えてもらいました。 

当時はわかる術がありませんでしたから、においはどうしようもありません。

ショックを受けたパパ はさらに消臭スプレーなどをして、悪循環になっていたと思います。 

パパの家の中の居場所は、タンタンが生まれてから無くなっていました。

私も子育てにいっぱい いっぱいで、一番大変な時に手を貸してくれないパパと話をすることはなくなっていました。 

怒鳴ることなんてほとんどなかったパパは、怒鳴るようになっていきました。 

2歳ころから幼稚園時代・・朝から毎日怒鳴り合い

毎朝、お仕事に行く前のパパと、タンタンの怒鳴り合いが、1時間以上ありました。 

頭が回って口が達者だったタンタンは、パパを言い負かしてしまうのです。

怒りながら疲れ切って 仕事に行っていたパパ。 

私が何か言うと 

「お前がこんな風に育てたんだろう!」 

と怒鳴りだすので、私はパパに、口を出さないようになりました。 

タンタンがパパに攻撃的になってしまうのをやめてほしくて 

「パパは、タンタンとおマミのために、お仕事に行ってお金を稼いでくれて、そのおかげでこのおうちに住めるし、ご飯が食べられるし、パパにはありがとうなんだよ」 

と絵をかきながら教えたり、パパとバトルになった理由についてタンタンと分析することをするのが日課でした。 

幼稚園の年中のころ、発達障害と診断をもらいました。 

これでやっとサポートが受けられる、と思った私とは逆に、パパは受け入れることを拒否しているようでした。 

発達障害の子供との接し方、に関連した本を読んでみたら?と勧めましたが、一冊も読んでもらえることはありませんでした。 

タンタンとパパが怒鳴りあうことは毎日でしたが、パパの心はすでに病んでいて、多くのことに悲観的になっていましたから、本を読むことすらできなかったのかもしれません。 

睡眠障害が少しずつよくなって、タンタンが幼稚園に行き始める頃から、私は少しずつ眠れるようになりました。

パパに、 

「今はおうちの中が荒れているけれど、穏やかな家庭にしたいっておもっているよ」 と何度か、家族の状況をよくしたくて話をしました。 

パパもそういう気持ちはあったようで、その時だけは話ができるのですが、毎日タンタンと揉めて怒鳴る、という状況は変わることはありませんでした。 

タンタンが育てにくいのは、ママである私の子育てのせいだ、と考えていたパパ。 

そして、子育てに協力してもらえなかった気持ちから、パパにほんの少し触られることも、苦痛に感じるようになってしまった私。 

そして、一日に何度も怒ってあらゆることに怒りをぶつけてくるタンタン。 

穏やかな家庭にするには、ハードルが高すぎました。 

唯一、パパとタンタンが楽しい時間が過ごせることがありました。

自然のある外へのお出かけです。

ただ、帰りは必ず激しく怒鳴りあいながら、パパもタンタンも怒って帰ってきましたが。 


タンタンは自然の中で葉っぱや石を拾うのが好きでした。

そんな時は怒るタンタンではありませ ん。キラキラ目を輝かせていました。

私は、そんなタンタンを見るのが嬉しくて、怒るよりも、こんな 時間をたくさん増やしてあげたいと思いました。 

「鉱物とか、化石とか、貝とかに関係があるお仕事をしたい」 

とタンタンから聞いたのは、幼稚園の年長の頃です。 

小学生の頃です。 

あらゆることで怒っていたタンタンの、トラブルの時の対処方法を身に着けるために

「生きていくためのスキルノート」 

を小学1年生からタンタンと作り始めました。 

後で見直したら、トラブルのたびに書いていたそのノートの半分以上は、パパとの上手な付き合い方について、で埋まっていました。 

情緒支援学級からのスタート

小学校は、入学前に見学や体験をして、聴覚過敏のあったタンタンの希望もあり、情緒支援学級でスタートしました。 

パパは支援学級に入れることを反対して、「普通の子供に育ててくれ!」 

と、怒っていました。

私はタンタンが過ごしやすいように、を優先しました

更に、パパと私の間の溝は深まっていきました。 

タンタンは一人で登下校をしませんでした。 

不安が強かったタンタンは、外へ出る時も登下校も、いつも私と手をつないでいました。

情緒支援学級は、期待していた静かな環境ではありませんでした。

送迎していた私も、クラスの状況を目にしていました。

その年は、他害がある生徒さんが多く、他害が連鎖して、日に日にひどくなりました。 

1年生の頃の先生は愛情あふれる先生で、私でもできることは応援していました。

人と関わることをしないタンタンは学校では静かでした。 

2年生になって先生が新しくなりました。情緒級の先生は、怒鳴って指導をする先生になりました。

クラスの生徒たちはどんどん壊れていきました。 

ホームスクールへ切り替える

タンタンと話して、 

「今のクラスで過ごす時間は意味がないね。家で自分の好きな勉強をする方がいいね、時間がもったいないね」 と、ホームスクールに切り替えることになりました。 

「どうして普通に育ててくれないんだ!学校に行かせてくれ!なんなんだよ!もう離婚だ!」

パパとは、また更に溝が深まりました。激高したパパが「もう離婚だ!」と叫ぶことは何度もありま した。

それは、タンタンも何度も聞いていました。 

その頃のパパとは、生活に必要最低限の会話しかしませんでした。 

私は怒鳴られるのが嫌だったことと、こうなったのはパパも誰も悪くなくて、どうしようもないと思っ ていたので、言い返すこともほとんどしませんでした。 

怒鳴られるのはやり過ごして、タンタンがのびのび生活できるようにサポートに専念しました。 

ホームスクールは、タンタンの研究ができる、川、海、山、博物館や図書館、自宅を居場所にしました。 

後編に続きます。後編ではROCKETでの出会い、NZへの留学、離婚になった経緯について書いてます。

Observations
Observations by Saryu Mae

↑タンタンのNZでの研究サイト

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